愛猫の最期~闘病記~
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2019年10月6日(日)

私の隣には小刻みに震える愛猫がいます。

ウチの愛猫とは13年前仙台に引っ越して 「 仕事も自営でやる!」と決めた時にペットショップで出会いました。

当時は札幌から連れてきた猫もいた為に、最初から“買おう!”と思ったわけではありません。

でも、子猫の愛らしさに魅了され毎週通っていたのです。


今週はまだ飼い主が見つかってないかな。

まだいるのかな。




ある日、いつのようにペットショップにいくと私を見て首を傾げました。

真似をして私も首を傾げてみると

ガラスの向こうの子猫は更に首を傾げます。

それを見て更に首を傾げる私 。

それを数回繰り返していると、バランスを崩して子猫はコロリと転がりました。

購入決定です。




額のMはMuroyaのMです





猫の種類はノルウェイジャンフォレストキャット。

当時はまだそれほど人気もなかったのか販売価格は13万円です(今は倍くらいしますよね、きっと)

それを更に10万円に値引きをしてもらい、キャリーケースなんかもつけて貰って購入です。

しかもボーナスもないのにボーナス払いで、です。

ウチには先住の猫もいます。

苛められないようにケージも買いました 。

が、すぐに逆に先住の猫を追いかけ回すくらいオテンバな女の子でしたね。



ある日、家に帰ると様子が変なんです。

急いで病院に連れて行くと、尿道結石からくる膀胱炎。

雌猫には珍しいのですが、ウチの子は結石が出来やすい体質でそれ以降、結石をケアするフードしか食べられなくなります。

この子が亡くなる時は、多くの猫がそうであるように腎臓系の病気で亡くなるものだと心のどこかで思っていました。

その後、何回か膀胱炎にはなるものの、他には大きい病気はせずに10年の間スクスク育ちます。






先住の猫が亡くなり、息子が生まれ、家を探すことになりました。

2019年2月、朝起きてストーブの上にいる愛猫を見ると、どことなく左側の頬が腫れているのが気になりました。

そして仕事から帰ってくると今度は左目から血が流れています。

急いで病院へ連れて行きます。

原因は目ではなくて口の中。

病院の先生は「歯の周りの肉が壊死しています。抜歯をしましょう。

10歳を越えると猫も歯が弱くなってこんな風な症状が出る場合がある。

他には腫瘍が出来ていてもこうなる事もあるんだけどね。」

こんな説明を受けて手術に臨みます。

上顎のの歯を全て抜く手術は無事に成功しました。


初めてのエリザベスカラー



あとは1週間に1回通院をします。

「来週見てみて、傷が完全に塞がっていたら治療は終了になりますよ」


そんな話だったので、次に病院に行けばもう行かなくても良いんだよーって愛猫に語りかけます。

私も新居の準備が忙しかったので、これでちょっと楽になるかな、なんて思っていました。

しかし先生の顔が厳しくなります。

「傷口が開いてます。先週はくっつきそうになっていたのに、、、」

私はこの通院する日の前に、もう大丈夫だろうと思ってエリザベスカラーも外し、普通にカリカリのご飯もあげていました。

そのせいで傷が開いたのかなと思い、反省しました。

結果、再度傷口を塞ぐ手術をする事になります。

手術は今回も成功。

でも、先生は「ちょっと気になった事があったので病理検査に出してみますね」

それから新居の引き渡しが終わり、ゴールデンウィークに入ります。


新居に引っ越してきました
すぐに居場所をみつけます



私のお腹の上で甘えます


そのゴールデンウィークの合間に2回目の手術の経過を診てもらいに行きます 。


「傷はふさがっていますね」

よかった・・・
その後に、


「先日の病理検査の結果が出ました。」と。


「内容はかなり悪いです。」


渡された病理検査の結果の用紙には、



扁平上皮癌



と、書かれていました。



ぼーっとして理解の出来てない私に先生はこれからの事を説明してくれます。

癌を取り除くには周囲3センチを切り取らなくてはならない。

癌が出来ているの口腔内ですので、全て取り除くのは不可能。

この病院で出来ることはサプリかオゾン療法で免疫力を上げて、ガン細胞を活性化させない方法があるって事を聞きます。


「サプリとオゾン療法のどちらにしますか?」


と、言われるもののまだ受け入れられないので考えられません。とりあえず


「両方やります。」




毎日サプリを飲ませて、週に一回病院に行ってオゾン療法をする事にしました。

が、これらをやっていても癌が治るわけではないです。

あくまでも共存。

「どれぐらい生きられるんですか?」



私の質問に先生が答えます。


「早いと2、3ヶ月。
1年。1年目指して頑張りましょう。」



週に一度病院にドキドキしながら連れて行きます。


「特に目立って症状は変わってないです。」



安堵してまた一週間。


こんな日々を過ごしていきます。




母が札幌から来る事になりました。

新居への引越しが終わって落ち着いた9月頃にしようと思ってたらしいんです。

ですが、6月の。

愛猫が元気なうちで正解だったね。

その晩は母と愛猫は一緒の布団で寝ていました。。

母も喜んでいたなぁ。




『そういえば癌って診断されたよね。こんなに元気になったのに。治って良かった!』



と、なれば良いのですが現実は非情で、少しずつ病は進行していきます。



「ちょっとだけ腫瘍が大きくはなってきています」


7月の中旬くらいから口に違和感を感じるのか、痛いのかわかりませんが食べるのをやめました。

先生に電話で相談すると、「ほどんど出来る事はないので家でゆっくりさせてあげてください」と。

宣告されてからは覚悟していたものの、私は愛猫に語りかけました。

「もうちょっとだけ頑張って、もうちょっとだけ一緒にいようよ」


次の日から愛猫の食欲が戻ります。

私の為に頑張って生きようと一生懸命食べます。

8月になり自壊が始まり、もう左目は見えなくなります。

それでもこんなに?ってくらい食べるんです。

毛もボロボロになり頬には穴が空きます。

口の中に入れた物が目から出てきます。




その頃から調べ始めます。




安楽死のことを。





身体はボロボロになり、治る見込みもない、苦しむくらいなら安楽死させてあげるのが飼い主の役割なのだろうか?

でも、食べようとしてるって事は生きようとしている事だしな・・・。

せっかく私の為に頑張ってくれているのに、安楽死させる!?

いやいやいや・・・・でも・・・。

考えは堂々巡りです。



一応病院の先生に相談に行ってみました。

病院の待合室で何て言おうか考えます。


「現在の症状をいうのと、安楽死の事も聞かなきゃ・・・」



私の順番が来ます。


「その後、変わった様子はありますか?」


説明しようと、声を出そうとしても出てこないんです。
代わりに涙が。


「電話くれてからもう一ヶ月以上ですもんね。頑張ってますね。」


私「痛みは感じてるんでしょうか?」


「痛みを感じていたらそんなに食べられないはずです。違和感は感じていると思いますが。
腫瘍が喉を塞ぐなど呼吸ができなくなるのはとても苦しいのでその時とか、どうしても苦しそうな時など安楽死の相談に乗ります。
食べられなくて衰弱して亡くなっていくのが理想的とは思いますが」



そんな話をしてくれたと思います。

それからさらに1ヶ月。


10月になって食べるのをやめました。
今まで飼っていた猫もそうでしたが、食べるのをやめたら一週間です。
身体はさらにボロボロになりました。
まっすぐ歩くことも出来ずに、顔をブルブルとさせると転びそうになります。
たぶん今日明日中にこの子は虹の橋を渡るのだと思います。

私が

「もうちょっとだけ一緒にいようよ」



と言ったのを聞いて2ヶ月間も頑張ってくれたんですよ。

飼い主想いの立派な猫です。

今夜は「もういいんだよ。ありがとう。」って声をかけますね。





10月7日(月)
早朝から鳴くのでストーブをつけてあげました。
そうするとスヤスヤと眠り始めました。
朝、私は仕事。妻と息子も保育に行かなくてはなりません。
横たわり呼吸をしているだけの愛猫にお別れの言葉をかけます。
それを聞いて、もうあまり動かせない身体なのに、前足でパタパタと合図をしてくれました。
力を振り絞って挨拶をしてくれたんですね。


私の仕事が遅いので、妻には『帰ってくるまでに亡くなっていても知らせないでね。』と伝えてありました。
亡くなったのなら慌てて帰らなくも良いだろうし。
仕事が終わる時間に妻からLINEが入ります。

『まだ頑張ってるよ』

頑張って私の帰りを待っててくれました。




多くのペット愛好家がそうであるように、私も虹の橋を信じています。
虹の橋で、先に逝ったもう1匹のうちの家族と仲良く一緒に待っていてよね。

もう辛くないよね。
よく頑張ったよ。
安らかにおやすみ。
ありがとう。


2019年10月8日 PM2:42 愛猫 室谷ごーちゃん 永眠


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